副業古着屋の魂ブログでは、古着販売の方法やノウハウをこれから副業をはじめたい方向けに発信しています。
本業とは他に収入源があることで、生活的に余裕が出てきたことを感じています。古着販売のノウハウをX(旧Twitter)で発信したところ、私が思っていたよりも多くの方にいいね!を頂き、とても嬉しく、少し驚き、そしてもっと役に立ちたい!と思うようになりました。
「ブログで書けばもっと喜んでもらえるかも?」と思いこのブログを始めました。このブログでは140文字では書ききれない部分を皆さんにお伝えしたいと思います
運営者の略歴
ブログネーム:魂ブログの若旦那
1993年生まれ。魚座、A型。兵庫県出身。埼玉県さいたま市在住。31歳。妻、娘(4歳)の4人家族。
同志社大学スポーツ健康科学部卒業後。リラクゼーションサロンFC運営会社にて店舗運営と業務コンサルに従事。現在は転職し、大手企業のBPO部門にて官公庁の業務改善に従事。事業所の責任者をしています。その傍ら副業としてレディース古着販売を運営。
2022年よりマンションの一室で古着販売の副業を開始。卸問屋から直接古着を仕入れてメルカリで販売する古着販売を開始。私と妻、外注スタッフ1名の合計3名で古着販売を運営。在庫は800着程度、利益は毎月10万円以上を達成中。
古着の卸販売を始めました
小規模ですが卸販売を行なっています。本業が忙しく仕入れをする時間がない方向けにアソートBOXを販売をしています。詳しくは卸販売ページをご覧ください。
古着販売のご相談にも乗ります
アソートBOXをご購入頂いたお客様から、古着販売の方法について質問を受けることが多くあります。ご質問される方の多くはこれから副業をスタートする方が多く、もしもお困りごとがあればお気軽にご質問ください。私の経験を踏まえてお答えします。本業の勤務時間にはプライベートスマホが使えないので返信が遅くなる点はご了承ください。
ソーシャルメディア
・instagram - 卸販売の商品紹介
基本スペック
TOEIC790点
ケンブリッジ英検CAE
普通自動車免許
日商簿記3級
過去の経歴
・生まれは兵庫県。団塊世代の両親を持ち、二人兄弟の弟として生まれる。兄の後ろをついて回る子供で、いつも兄と一緒にいました。幼い頃の習い事は兄と同じ習字、水泳、サッカー。家でも外でも兄と一緒だったとようです。一方、家族で遊ぶことは好きでしたが人見知りで、その血は時を超えて長女に引き継がれています。
・小学校時代は、友達の影響でバスケットボールを始めました。そのスポーツクラブは本格的に練習をするミニバスケットボールクラブで地区大会は毎年上位で、兵庫県大会の常連クラブでした。そのクラブは毎週5日間練習があり、学校が終わった後はバスケの練習に行く生活でした。
・ミニバスケットボールクラブで朝から晩まで練習。元々兄の近くでしか遊ばない子だったので、この頃の経験で家族以外の人間とどのように人間関係を作っていくのが良いのかを学びました。スラムダンクの三井寿に憧れ、アウトサイドシュートを徹底的に鍛えました。練習の成果としてシュート率が上がり、チームの一つの役割を担うようになってから自分の立ち位置ができた記憶があります。最終学年の大会では、地区大会準優勝、兵庫県大会ベスト8になりました。今思えば、この頃の粘り強く続ける経験が、何事もコツコツ続ける忍耐力の土台になっています。
・中学校時代は部活動にどっぷりハマる。ミニバスの流れで中学のバスケットボール部に入り、生活のほとんどを部活に費やしました。部活動では奮った成績は出ませんでしたが、一番の思い出は尊敬する魅力的な先輩たちに出会えたことです。「高校でもこの人たちとバスケがしたい!」と思い、先輩たちが入学した学区トップの進学校に入学するために、バスケ部を引退してから死ぬ気で勉強しました。中学1年生の時は偏差値36だったのを受験期には65まで伸ばし、無事に先輩たちがいる高校のバスケ部に入部できました。兄と一緒にいる時もそうでしたが、憧れの人のように自分もなりたい、という気持ちが何かを決断する大きな動機になっていた気がしています。
・高校時代は憧れの先輩たちとバスケに熱中。高校一年生ながらスタメンで背番号5をつけて試合に出ていました。元々バスケ部は強くなかったのですが、当時は色々な大会では優勝を重ね、地区大会でも準優勝。残念ながら県大会はベスト32で終わりましたが、京都や奈良の高校から招待大会を申し込まれることもあり、遠征にも沢山行きました。ただ、高校2年生の時に膝と足首を負傷し、自分の代ではあまり試合に出られませんでした。結果的にバスケット生活は高校3年生で終焉となります。
・高校時代はクラスメイトと一緒にバンドを始めました。担当はエレキギター。BUMP OF CHIKENやUVERworld、Flumpool、ELLEGARDENの曲をコピーをしていました。怪我の影響でバスケで思うように行かなかったので、バンドに打ち込むようになりました。
・大学は同志社大学に入学しました。小学校のバスケットボールが好きだったのでスポーツ健康科学部に入りスポーツビジネスを学びました。ただ、高校時代に足首と膝を怪我をしたせいでバスケはできず時間を持て余していました。
・大学2年生時、バスケのように何かに打ち込みたいと多い、当時のゼミの先輩からベンチャー企業でのインターンシップを紹介してもらいました。学生のうちに社会で活躍したら、きっといい会社に就職できるに違いない!と思い、イベントスペースの運営、学生イベントの企画運営などを行いました。
人生経験と成長
・某大手リラクゼーションサロンのFC運営会社に就職し、直営店の店長として配属。初めはリラクゼーションセラピストとして勤務し、スポーツや怪我の経験をもとにお客様の身体の疲れを緩和させました。店長として店舗マネジメント、新規出店立ち上げ、赤字店舗の黒字化を経験し、その後はSVとして色々なFC店舗の課題解決に従事。
・FC加盟店のオーナーの多くは、自分で事業を持っており、医療機器メーカーの専務やWEBメディアの運営責任者、不動産オーナーなど沢山の起業家とお仕事ができました。人として魅力的な方達が多く憧れを感じ、いつか自分も事業を持ちたい、と思うようになりました。
・とてもお世話になった加盟店オーナーの奥様は自分で事業はしていないものの絵画を仕入れて販売しており、かなり儲けていることに驚きました。また、お金を稼いでいる人は意外と学歴が低い人が多いことも印象的でした。学歴は関係ないんだと思った瞬間でした。
・2019年10月に長女が誕生。二人兄弟で育った自分にとって”娘”という存在の可愛さを知る。
・家族が増えたことで収入をあげようと思い転職を決意。大手企業のコンサル部門にて官公庁のアウトソース、業務改善部門に配属。コンサル部門の仕事は担当するプロジェクトに当たり外れがあり、あるプロジェクトでは毎朝5:40の電車に乗り、夜の11時に帰宅する生活が3ヶ月間続きました。そして気付いた時には、ストレスで精神を崩してしまいました。転職2年目の夏の事です。収入をあげるどころか仕事ができない身体になっていました。
どん底からの復活
・転職した当時は29歳でスポーツ健康科学部出身、ということもあり、若くて体力のある体育会系男子という印象があったのでしょう。配属されるプロジェクトは炎上案件が多く(前任者が突如辞めてプロジェクトを馬力で解決する案件)、当時の上長とも関係性が悪かったこともあり、身体的にも精神的にも限界となり、一旦職場からは離れることとなりました。
・収入は完全にストップ。娘が2歳、しかも家を買っていたので住宅ローンの残債もほとんどが残っている状態でした。コンサル部門で仕事はもうできない、これはもう、自分でどうにかするしかない、と開業を決心する。
・株式の短期投資、デイトレード、動画編集、プログラミング、色々と試しましたがどれもうまくいきませんでした。短期投資は株価の上がり下がりに消耗してしまい、当時は精神状態が不安定だったこともあり断念。動画編集やプログラミングは、自分がイメージしている映像やシステムが作れず断念。あまり創造力がなく、0→1を生み出すクリエイティブな仕事は向いていないんだ、と改めて自分自身を知りました。
・どのようにお金を稼ぐかを考えた時に、前職でお世話になった加盟店オーナーの奥様のことを思い出しました。絵画を仕入れて販売し利ざやを稼ぐビジネスです。クリエイティブ性がない自分でも、安く仕入れて高く売ることならできる、と思い転売ビジネスに挑戦しました。ただし、絵画を仕入れる資金力がないので、低価格で始められ、メルカリで販売しやすい「古着」を取り扱うこととしました。これが古着販売との出会いです。
・店舗仕入れなど色々と仕入れ方法を試したのですが、リサイクルショップで販売している商品は値段設定を徹底的にリサーチしているところも多く、メルカリで出品しても赤字になることの方が多かったです。
・一番自分に合うのは古着の卸業者から直接仕入れる方法でした。古着卸仕入れではミニマム60円で仕入れられる業者もあり、安く仕入れるにはピッタリでした。古着卸から仕入れた60円の商品が1,200円で売れた時は、正直感動しました。会社に属さず自分だけの力で利益1円を生み出すことができた、初めての経験でした。
・動画編集などのスキルを習得せずともすぐに利益を生み出せる、古着販売の魅力に取り憑かれて、沢山の卸業者を開拓して仕入れに行きました。群馬、茨城、千葉、埼玉、東京、首都圏の卸業者の事務所や倉庫に訪問し、ブランド力がある商品を安価に仕入れられる卸業者を探しました。仕入れては出品しを繰り返し、気がつけば在庫数は800着を超えていました。
・勿論、在庫800着を一人で捌くことはできず、徐々に外注スタッフを契約することになりました。最大4名の外注スタッフを契約していましたがコストが重なり利益が出なかったことも多々ありました。外注スタッフの業務内容を調整し、工数削減をし、単価を見直し、外注スタッフ4名&自分の5名体制を、外注スタッフ1名&妻の2名体制にスリム化することに成功。現在も2名体制で古着販売を運営しています。転職した会社で身につけたアウトソース化、業務改善のノウハウが活かされた時でもありました。
・ハイブランドの古着を仕入れるルートを開拓し単価も増加。コストのスリム化と高単価の販売で手残りで出る状態になりました。
・お金の余裕は心の余裕。一度は退職を考えた転職先にも復活し、現在も官公庁の業務改善に勤しんでいます。家族と一緒に職場の近くに引越し、夜遅くまで仕事をする生活は続いていますが、もしも体調を崩したら自分の事業にフルベットして生活費を稼ぎたいとも考えています。しかし、心の余裕があるからか本業の方も調子が良く、本業の方の成果も出始めています。もう一度、バスケットボールに打ち込んだ学生時代のように本業に打ち込みたいと思っています。
コンタクト
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最後に
魂を込めてブログを更新していきます!古着販売をこれからはじめたい方に向けて役にたつ情報を発信していきますので、少しでも成長の一助になれれば幸いです。これからよろしくお願いいたしますm(_ _)m
当ブログの記事に共感していただけたら、また読みに来ていただけると嬉しいです。読んでくれる方の数が多くなると、更新するヤル気に繋がります(^^)